お寺 ひきこもり 双極性障害

【出戻り編】ひきこもりだった私が禅寺へぶち込まれた話(6)

辛い

苦しみしかない

こんにちは、静寂です。
ここからはメンタルに注意して呼んでください。
私の黒歴史でもありますので暗くしか書けません。
取扱注意です。

「元気がなくなってしまって……」
私は完全に鬱転していました。
「お寺に帰ってこい」

私は二つ返事でお寺に戻りました。
母親が入れてくれた予備校はやめました。
本当にお金の無駄遣いで今となっても本当に申し訳なく思います。

躁状態がなくなった今、生きる意味すら見えなくなってしまったのです。

お寺に戻ったらハイテンションの私が戻ってくると信じてました。
だけど、そこには私の居場所などどこにもありませんでした。

阿信さんは正式にログハウス班長を降ろされていました。
あと阿海さんと阿虎さんも僧堂から戻ってきていました。

それでも私の居場所はありません。
意味不明なことを言って山を降りて1ヶ月で戻ってきたのです。
長期でいた新人の方にも目の敵にされます。

「アホが来たぞ」
「お前には何も任せられないわ」
というような言葉をサンドバックのように浴びます。

私は全てがどうでもよくて、それでも心は傷ついていました。
なんだかあんまり覚えてないのですが、人として扱われていませんでした。
自業自得なのです。

私は死人のように生きていました。
死人の方が顔色が良いかもしれません。
自分が焼け野原にしたのに、わざわざ戻ってくるなんて私はアホです。
アホ中のアホです。

自虐はこれくらいにしておきます。

線香

阿海さんは私の顔を見るなり顔を歪まして拒否反応をします。
すごい顔をするので、今思い出すと笑ってしまいますが当時は凹みました。

阿信さんはメンタルをやられたようで、近くのメンクリから出てくるところを見たことがありました。
もともと疾患があったのかもしれません。

阿虎さんは……がんで僧堂を出たようでした。
読経の時、阿虎さんが咳き込むと非常に辛そうでした。

変わらず接してくれたのは熊さんとしぃくんだけでした。
ありがたい存在でした。
ただ私は鬱状態がひどく、お寺からカウンセリングへ通うことになりました。

その時は典座をやっていたのか、ログハウスを組んでいたのか、どうだったのかあまりよく覚えていません。
ただただ辛かった、この場を去りたかった。それだけでした。

ログハウスは半分ぐらい組み上がっていました。
熊さんはとても安定していて、眩しかったです。

私は何もできませんでした。
頭の回線が混乱して本当に何もできませんでした。
手足がうまく動かないのです。

私は自分が何をしているのか訳が分からなくてつらくて、つらくて仕方なかったです。
一瞬でも早く消えたかった。
それだけでした。

ログハウスは日に日に完成へ近づいていきます。
一度積み上げていけば意外に早く積み上がるもののようです。

壁ができて屋根を作る段階で、順番に休みを取ることになりました。
最初、誰が休みを取ったか覚えてないですが、誰かと誰かが一週間休みを取りました。

その次に私と他の誰かが休みを取ることになりました。
私は家に逃げ込むようにして帰りました。
そしてもうお寺に行こうとは決してしませんでした。

どんより

1ヶ月ぐらい経って、電話がかかってきます。
熊さんから禅堂が完成したからお祝いするから、おいでと。

行ける訳がありませんでした。
私は電話口で返事を濁して、電話を切って布団の中に戻ります。
半年ぐらいずっと布団の中にいたと思います。

私はお寺のことを忘れることにしました。
家族もお寺のことに触れてくるようなことはありませんでした。

私はここから26歳までガッツリひきこもりとして生きます。
お布団だけが私の心の傷を受け止めてくれました。

つづく

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