小説

タイトル未定の連載小説4

藤棚

女の人は捨てられた仔猫のように小刻みに震えていた。
俺は「大丈夫ですか?」を連発してその場の冷え切った空気を少しでも温めることしかできなかった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよね?」
「ふふっ」と女の人は笑い声を漏らした。
「大丈夫じゃないけど、大丈夫よ。ありがとね」

俺は少し気分が高揚した。
外部の女の人と会話を交わしたのは、たぶん学生の時以来だろう。
女の人が顔を上げたら顎にあざがあるのがはっきりわかった。
悔しそうな表情で俺に投げかけてくる。
「あなた、お父さんとお母さんどっちを殺したい?」
一瞬えっ、と目玉を大きくして驚く。
「ち、ちち」と焦って答える。
女の人はニヤリとしたような気がした。

一呼吸置いて、視線がぶつかる。
「私もよ」と顎のあざをゆっくりと撫でる。
「父親にやられたの?」
落ち葉が頭上から降ってきて、お互いの頭の上は落ち葉だらけだ。
「家出してきたんだけど、いざそうなると行くとこないね」
俺の質問は完全に無視されてしまった形になってホッとしている自分がいる。
父親に殴られたと聞いても何もできないことに気が付いたからだ。
頭の落ち葉を払って少し冷静になろう。
「親戚の家とかは?」
会話が途切れてしまうとすぐに帰ってしまいそうだった。
女の人がここに存在した事実が完全に消えてしまいそうだった。
「私ね、昔この街に住んでいてね、それで来てしまったのかも。別に未練も何もない街だけど、私の心のふるさとになってるのかもね」
俺はもう上手に質問できそうになかった。
女の人も俺に何も求めてこない。
「ここの神社の藤棚が好きで、それで来たのかも」
「あなたと出会えたのも、運命なのかも」

「じゃあね」
気が付いたら別れの時だった。
ここまで何を話していたのかあまり覚えていなくて、自分は記憶障害なのではないかと疑ってしまうほどだ。
もしかして夢だったのではないか、白昼夢の可能性だってある。
女の人の姿はもうない。
ただラジオの彼女とそっくりな声だけは覚えている。
もしかしてラジオの彼女だったのでは、なんて非現実的なことを思ったり、神がくれたボーナスタイムかと勘ぐったり、俺は馬鹿なことばかりしか思い浮かばないでいた。

家に着くとちょうど父が仕事に向かうために玄関から出てきたところだった。
俺は俯き加減で無言のままやり過ごす。
父も俺には声をかけず仕事へ向かった。
俺の父は殴りかかってくるような人ではなかった。
また息子である俺も人を殴ったりはしなかった。
いっそのこと殴り合いでもすれば、今の状況よりよくなるのではないかとひとりで結論づけ、自室へ戻り眠りについた。

-小説

© 2021 メンヘラの生きる道 Powered by AFFINGER5